1899年、日本人として初めて花蓮に、台湾日本人移民村を開村した、山口県萩市出身の賀田金三郎。
日本統治時代以前は、不毛の地と言われた東台湾。
西側と東側を遮る、中央山脈。マラリアの流行。首狩り族と言われた山に住む原住民の襲撃。度重なる困難に加え、全てを民間事業としてやり続けた賀田金三郎。
花蓮開拓の父である賀田は、台湾近代化のために、乃木希典、児玉源太郎、佐久間左馬太の3人の台湾総督と後藤新平民政長官のために台湾日日新聞の創設、台湾銀行の創設、そして、台湾の金融・郵便の運搬と、大きく貢献をした。
賀田の死後、後藤新平が、「賀田君の働きがなければ、台湾の近代化は成し得なかった」と述べている。
東台湾における、製糖事業、製脳事業、鉄道、道路等々、賀田の功績は今でも地元の人々から尊敬と感謝の言葉が出るほどである。
2015年7月、賀田金三郎の功績を讃え、花蓮県壽豐郷に「賀田金三郎記念館」を開館するために、現在、準備を行っている。
日本の皆さんにも是非、彼の偉業を知って頂きたい。